石田明夫の考古学から見た「会津の歴史」 
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会津の焼物
(会津大戸窯・会津大塚山窯・会津本郷窯)


 会津地方は、古代から現代まで東日本をリードしてきた焼物の先進地です。現在でも福島県大沼郡会津美里本郷の会津本郷窯は、陶磁器の窯元が17軒あります。古代から中世にかけては、約400基存在すると考えられている東日本最大の窯跡の大戸古窯跡群(以下「会津大戸窯」という)があります。また、東日本では唯一の天目茶碗を焼いた会津大塚山窯があります。全国に知られる「六古窯」に匹敵します。古代、中世、近世、現代と生産されていたのは東日本では会津だけです。生産地点は、いずれも15キロ以内の距離にあり、会津若松市の市街地から12キロ以内にあります。

古代・中世の「会津大戸窯」(あいづおおとよう) 福島県会津若松市大戸町に所在。 8世紀中頃から14世紀前半頃まで操業。

 古代の奈良時代から平安時代は、須恵器(すえき)を専用に焼いています。中世の平安時代末・鎌倉時代・南北朝時代は、常滑窯や越前窯と同じ瓷器系(しきけい)の大甕、甕、壺、擂鉢を焼いています。窯跡は推定400基。東日本最大の焼物生産地。分布調査、試掘調査、発掘調査を実施しています。福島県指定史跡。調査は石田明夫がしました。


戦国時代の「会津大塚山窯(あいづおおつかやまよう)」 
福島県会津若松市一箕町に所在。
 1590年から1600年という短期間に操業したと推定される東日本唯一の天目茶碗を焼いた「大窯」
 国史跡「会津大塚山古墳」のある大塚山に位置する窯跡。1基のみと推定される。
 年代的には、蒲生氏郷・秀行、上杉景勝までの年代にあてはまりますが、窯を築かせた可能性の高い人物は蒲生氏郷です。東北地方で最も古い近世窯でもあります。未発掘調査。現地と全容を知っているのは石田明夫だけです。

近世。現代の「会津本郷窯(あいづほんごうよう)」 福島県大沼郡会津美里町本郷に所在。
 国史跡の向羽黒山城の西側にある江戸時代から続く窯跡です。1640年代には、若松城の黒瓦を加藤明成時代から焼いていますが、1600年の上杉時代までさかのぼる可能性があります。また、東日本では、磁器化したのは瀬戸窯よりも早く、19世紀初めには、伊万里窯の技術を参考にして成功しますが、白磁化はできず、瀬戸窯の方が早く成功しました。白磁化に成功する前の黄褐色の磁器を「砕石手」と呼ぶ会津本郷窯初期磁器があります。

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hino ootukayama hongou
東京都日野市から出土した大戸窯産の長頸瓶。9世紀中  窯道具、ヨリ輪、天目茶碗、皿の破片。16世紀末  加藤明成時代から黒瓦を焼き、保科正之からは陶器を焼く
 会津大戸窯  会津大塚山窯  会津本郷窯

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