石田明夫の考古学から見た「会津の歴史」 

直江兼続とふくしま

ここでは、会津の直江兼続に関する資料を掲載。A4版縦、PDF資料です。
項目の概要
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上杉景勝120万石時代の正確な領地範囲の図 天地人と会津領国図
会津若松市街地に分布する景勝・兼続時代の場所 直江兼続・会津若松案内図
上杉景勝時代の鶴ヶ城内には、謙信の御堂があった 上杉時代の若松城とは
家康の上杉征伐で未完成となった神指城とは 幻の神指城
神指城は東日本の中心都市にする予定であった 神指城平面図
神指城が完成したら広島城のような城になっていた 神指城完成予想図
神指城は、会津若松インターの西側にあります 神指城の位置
神指城本丸の石垣は東山町の石山から運びました 神指城の石引道
直江兼続の「愛」と関係が深い愛宕神社は東山町にあり 会津の愛宕神社
上杉最後の砦、向羽黒山城跡の全体実測図です 向羽黒山城全体図
向羽黒山城遺構部分の図です 向羽黒山城部分図
向羽黒山城本丸と絵図です 向羽黒山城本丸
会津時代の直江兼続屋敷は鶴ヶ城大手口正面にあり 直江兼続会津の屋敷跡
関ヶ原時代に上杉氏が築いた防塁と戊辰戦争の塹壕とは 防塁とざんごうの違い
徳川家康の上杉討伐における「白河決戦進攻計画」 家康の白河進攻図
上杉時代の白河城とは 白河城との関係
会津に子孫が住む、花の慶次 前田慶次郎(花の慶次)
白河城とは 白河城との関係
石阿弥陀の防塁とは 石阿弥陀の防塁跡
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神指城